今日の発掘情報~笑
今日の現場は久々に土器らしい土器が出ましたぁ~\(^0^)/

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まず掘り始めてすぐにこれらが出てきました
詳しくは↓を御覧下さい^^

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で、アップにしたのがこれ~
1つ目はちゃんと器の底だってわかるものです^^
これは平安時代ころのものらしいですよ~
最近はこういった形のものを見ることが少なかったからちょっと満足^^

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で、黒っぽい方がこれなんですが、いわゆる『須恵器』と呼ばれている弥生時代もしくは古墳時代から見られ始めたものです。これより古い『土師器(はじき)』が柔らかくて、薄く、壊れやすいのに対して、硬くて原型をとどめた完全形で出土されるものが多い土器です
蓋つきのものがあったりもするんですよ~
まぁこれはかけらですけどね^^

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最後は別の場所からでしたがこれも須恵器です
かすかに紋様らしきものがあるんですが、わかりますか?
ただ、紋様に関しては縄文によく見られるのであまり意識してつけられたものではないと思われます。
縄文式土器ならいろんな紋様が見られるんですよ^^
縄文の『縄』の字は土器の模様が縄でつけられているからだったと思います。
もしそういうのが出る機会があったらまた紹介しますね~(^^♪


 
【参照】(wikipediaより抜粋)

『土師器』

土師器(はじき)とは、弥生式土器の流れを汲み、古墳時代~奈良・平安時代まで生産され、中世・近世のかわらけに取って代わられるまで生産された素焼きの土器。埴輪も土師器である。

古墳時代には土師部という職人集団により生産されていた。多く生産されたのは甕等の調理器具だが、9世紀中頃までは供膳具もそれなりに生産されていた。

小さな焼成穴を地面に掘って焼成するので、密閉性はなく酸素の供給がされる酸化焔焼成によって焼き上げる。そのため、焼成温度は須恵器に劣る600~700度で焼成されることになり、橙~赤黒色を呈する。

須恵器とほぼ同時期に生産されていたものであるが、土師器の技法は弥生式土器の延長線上にあり、年代以外では弥生式土器と区分するのは困難である。ただ弥生式土器は地域色が強かったのに対し、土師器は同じような意匠・技法による土器が全国的に分布している場合がある。

『須恵器』

須恵器(すえき)とは日本で古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器である。時期的には土師器と併用され、比較的高級な品として扱われた。当時の記録から、「陶器」と表記され「すえうつわもの」と読まれていたことがわかっている。しかし陶器(とうき)と混乱を避けるため、考古学用語としての須恵器が一般化している。

土師器までの土器が日本列島固有の特徴を色濃く残しているのに対し、須恵器は全く異なる技術を用いて製作された。それまでの土器が野焼きで作られていたため、焼成温度が低い上に酸化焔焼成(酸素が充分に供給される焼成法)となったため、表面の色は赤味を帯び、強度があまりなかった。それに対し、須恵器は窖窯(あながま)を用い1100度以上の高温で還元焔焼成(酸素の供給を遮断する焼成法)するため、表面は青灰色で、堅牢な焼物となった。

須恵器の起源は朝鮮半島(特に、その南部の伽耶)にあり、初期の須恵器は半島のものと区別をつけにくいほど似ているが、用語としては日本で製作された還元焔焼成の硬質の焼物だけを須恵器という。朝鮮半島のものは、普通名詞的に陶質土器と呼ばれるか、伽耶土器・新羅土器・百済土器などもう少し細分した名で呼ばれている。
 
 
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by maimuphoto | 2007-02-06 14:23 | ボヤキ
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